僕は20代前半の社会人なりたての頃から温泉評論家の郡司勇さんの本の聖地巡礼をしたり、「日本秘湯を守る会」のスタンプを集めたりとけっこうマニアックな温泉巡りをするのが好きでした。
マニアックな入浴施設の入り口には、たいてい表紙が色褪せた古い雑誌や漫画があります。それは「婦人画報」だったりあるいは温泉特集MOOK本だったりするわけですが、その施設がピックアップされた回の特集には必ず付箋がつけられていて、何十年前の雑誌でもそうやってずっと置いてあるのです。
そういう本が施設にあると僕は本当に美しいなと思います。物書き冥利に尽きるとでも言いましょうか。そうやって何かを紹介した文章をずっと誰かが大切に持っていてくれるって最高の相思相愛だと思いません?
大抵そういう本をパラパラと開くと、写真とか絵とかが今の実際のものとは若干時が経って異なっているわけですが、それも風情があります。要するに風景や施設って「生もの」なのです。その瞬間瞬間に別の美しさがあるから、誰かが描きおこさないと、その瞬間の魅力って消えてしまうわけです。
だから僕は漫画家になった時からずっと、いつか絶対にお風呂漫画をやりたいな、それも実在の施設に取材をした本当の施設の漫画をやりたいな、それでこの施設の美しさを永遠にしたいな……と思っていました。
しかしこういう形式の
「1話完結」(=次の話を読んでもらいにくい)
「実際の施設が出てくる」(=監修&取材が大変)
「温泉」(=みんなやりたいテーマ レッドオーシャン)
はなかなか企画が通らず、いろんな編集者さんに企画をお持ちしては「う〜んこの胃がキリキリするようなヒューマンドラマだけでいいんじゃないですか?」と言われる始末。ダメに決まってるだろ!それじゃ、ただの「東京最低最悪最高!」になっちゃうでしょうが!
「私たちには風呂はある!」は元々「限界社畜女湯煙一人旅」というタイトルでした。物騒すぎる。火曜サスペンス劇場でやってて冒頭で人とか死にそうだね。
ただ、「冷たい職場で追い詰められた社畜の女の子が、温かいお風呂で整う」というコンセプトは当初から変わっていません。
読んでもらったらわかるのですが、読者さんからは「この主人公、温泉に行く前にまず会社辞めた方がいいのでは?」という声を聞きます。でも実際にはそんな簡単に会社は辞められないですよね?
真面目な人ほど、きつい会社に滞留するようにこの世はなっているのです。みんなが労働者の責任感にフリーライドして頑張らせようとするからかもしれません。この本の主人公、青田ちゃんは転職してまだ三ヶ月です。真面目だから、全ての仕事を静かにこなして耐えようとします。でも、やはりそういう人生はきつい。そんな時に宗教や恋愛や食事に救いを見出す人がいてもいいように、風呂に救いを求める人がいてもいいはずです。
お風呂って絶対に救いがあるのですごいと思いませんか?
恋人も家族も、貴方を裏切るかもしれない。料理も、お金を出しても美味しくないことだってあるかもしれない。
でもお風呂は裏切りません。
服を脱いでお湯に入ったら絶対に気持ちがいいことが100%約束されているのです。
お風呂を信じよう。お風呂を愛そう。お風呂の本を読もう。
ということで、「私たちには風呂がある!」一巻が発売になりました。僕が思う「本物の救い」(=美しいお風呂)を詰めました。ぜひお手に取って見てみてください。
僕はなんとしてでも、この温泉の漫画の連載を一生ライフワークとして続けていきたいと思っているので何卒よろしくお願いします。

ちなみに、どうしてもやっぱり「東京最低最悪最高!」みたいな、胃がキリキリするタイプの突き抜けたヒューマンドラマばっかり摂取したい!というワガママなあなたのために……本日発売の文學界という文芸雑誌にそういう感じの何かもご用意してあります。こちらかなり本気で貴方様の胃を締めにいっておりますので、ぜひ温泉漫画でととのって、コンディション最高の状態になってから読んでください。
僕が温泉にこの世で唯一の救いを見出しているように、文学にこの世で唯一の救いを見出している人もいらっしゃることでしょう。だから、小説も真剣にやりました。
作中作の中に漫画が入っているのですが、その漫画の完全版はここから読むことができます。

最近、自分が本を書く意味がやっとわかってきました。漫画も小説も、普通に生きていたら見逃してしまう、面白い、キラキラしたものを紙に印刷して、あるいはデータに焼き付ける仕事だったんだなってことです。なんでそんなことをするかといえば、美しい温泉とか、美しい人たちの重層的ですぐに移り変わってしまう、一番輝ける瞬間を本に閉じ込めて永遠にするためです。それで、最終的にはそういう美しい施設とか、美しい人たち本人に一生大事にしてもらえる本ができたら僕も嬉しい、そういう営みだったのです。
意味がわかってきたので、あとは頑張るだけですね。
あまりにも速いキラキラ、俺でなきゃ見逃しちゃうね!

